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「明色スキンコンディショナー」のルーツも!「日本を変えた千の技術博」(東京・上野)の展示品からコスメの歴史を探ろう

日本を変えた千の技術博 桃谷順天館

現在、東京・上野の国立科学博物館にて開催中の『特別展 明治150年記念「日本を変えた千の技術博」』に桃谷順天館グループの4商品と関連資料が展示されています。

「明色スキンコンディショナー」などを発売する桃谷順天館グループの歴史は1631年(寛永8年)にまでさかのぼります。

紀州(和歌山)・粉河の地で代々続いていた薬種商「正木屋(まさきや)」。

明治4年の廃藩置県の影響を受け混乱の時代の中で正木屋もまた窮地に立たされていました。

その正木屋を救うべく当時の主人であった桃谷政次郎が現在の東京大学で最新の製薬技術を学ぶと共に、ニキビに悩む妻のために創ったのが「にきびとり美顔水」。

これをきっかけに、1885年(明治18年)化粧品製造業として桃谷順天館が誕生しました。

この桃谷順天館誕生のエピソードは、漫画「桃谷順天館物語-美顔水編-」としてWEBで公開されています。

今回は、その創業のきっかけとなった「にきびとり美顔水」を含む桃谷順天館グループの4商品が「日本を変えた千の技術」として紹介されることに。

明治150年記念「日本を変えた千の技術博」とは

明治150年記念「日本を変えた千の技術博」

明治改元から150年。

時代が転換するこの機会にあわせ、上野の国立科学博物館『特別展 明治150年記念「日本を変えた千の技術博」』には、日本を大きく変えていった科学・技術の成果など600を超える点数の貴重な科学・技術の遺産が集められました。

科学者・技術者の発明・発見にまつわるエピソードや世相、関連する写真等も合わせ、「日本を変えた千の技術」が紹介されています。

【特別展 明治150年記念「日本を変えた千の技術博」開催概要】

  • 会期:2018年10月30日(火)~2019年3月3日(日)
  • 会場:国立科学博物館(東京・上野公園)
  • 開館時間:午前9時〜午後5時
    <金曜日、土曜日、10月31日(水)、11月1日(木)は午後8時まで>
    ※入場は各閉館時刻の30分前まで
  • 休館日:毎週月曜日、12月28日(金)~1月1日(火)、1月15日(火)、2月12日(火)
    <ただし、12月24日(月)、1月14日(月)、2月11日(月)、2月25日(月)は開館>

時代に先駆け、西洋医学を取り入れた製法の化粧水「美顔水」

桃谷順天館 美顔水

写真左)当時の商品、写真右)現在の商品

桃谷順天館創業のきっかけともなった「にきびとり美顔水」。

東京帝国大学(現東京大学)にて桜井郁二郎先生(東京大学婦人科創始者)のもとで最先端の西洋医学を学び 創製した、サリチル酸を用いた塗布薬です。

ニキビに悩む妻を笑顔にしたい!という愛から生まれ、キレイになった妻を見た人のクチコミで広まり「にきびとり 美顔水」として販売がスタート。

日本の化粧品業界の年表に第一歩を刻んだ「美顔水」は、1885年に誕生してから133年経ったいまもなお販売されている化粧水です。

今日ではホモスルファミンは医薬品の成分とされていますが、既得権により処方変更することなく販売し続けられている商品です。

油成分入りのクレンジングの先駆け「明色奥様用クリンシン」

明色奥様用クリンシン

写真左)当時の商品、写真右)現在の商品

濃い化粧が主流の時代。

クレンジングの先駆けともいえる、化粧をおとす油成分入りの洗顔クリーム「明色クリンシンクリーム」は画期的な商品だったのだそう。

1932年に発売を開始し、現在も明色シリーズの1つ「明色奥様用クリンシン」として展開されています。

創業者である桃谷政次郎の次男幹次郎と薬剤師の木村謙吉により開発された「明色クリンシンクリーム」は「明色」ブランドの始まりとなりました。

1938年(昭和13年)に誕生したコピー『美人は夜つくられる』は広告史上に残るほどの大ヒットに。

銭湯に行く際、洗面器の中に「明色クリンシンクリーム」を入れて持って行くことがひとつのファッションとして流行ったといわれています。

「明色スキンコンディショナー」のルーツ「明色アストリンゼン」

「明色スキンコンディショナー」のルーツ

写真左)当時の商品、写真右)現在の商品

プレ化粧水、収れん化粧水として「明色スキンコンディショナー」を愛用している人も多いのでは?

そのルーツとなった「明色アストリンゼン」は、創業者である桃谷政次郎の次男幹次郎が開発した、バッファ効果(洗顔後アルカリ性に傾く肌をすばやく弱酸性に戻す効果)を取り入れた弱酸性化粧水です。

開発者の幹次郎は、世界の化粧品界を視察した際に収れん作用をもった化粧水が日本にないことを知り、研鑽を重ね、1936年(昭和11年)「明色アストリンゼン」の発売にこぎつけました。

「明色アストリンゼン」は昭和20年代(1940年代)に製法特許を取得。

その後、90年代の価格競争の激化と共にマーケット自体が変化し、一度廃番に。

メインターゲットを変更、パッケージなども一新させ「明色スキンコンディショナー」として生まれ変わり、現在大ヒットしています。

妻を想う気持ちからスタートした化粧水が日本を変える技術に

日本を変えた千の技術博 桃谷順天館

現在手に取ることが出来る化粧品が130年以上前から続き、博物館に展示されているなんてスゴイことだと思いませんか?

『特別展 明治150年記念「日本を変えた千の技術博」』では、今回ご紹介した3アイテムに「解熱丸」を加えた4つの桃谷順天館グループの商品を見ることが出来ます。

化粧品から学ぶ日本の歴史。

化粧品から感じることが出来る日本の技術。

この機会に東京・上野公園に足を運んでみてはいかがでしょうか。

桃谷順天館グループ

ディレクター MIKI
ビューティープレスマンのディレクター。ライターとしても登場します。コスメブログ運営歴10年以上の根っからのコスメ好き。日本化粧品検定協会認定コスメコンシェルジュ資格も所有しています。若い子から「こんな風になりたい!」と思ってもらえるような歳の重ね方を目指す40代です。